【近況報告】2021.4 新学期ですね!

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1年間の休学を経て、4月から大学に復学しました!
周りより2年遅れて、5回生4年生です!

初回のゼミに合わせて、昨日愛知県から横浜の実家に戻ってきたものの、謎の喉腫れにより欠席。

諸々の血液検査の挙げ句、原因不明でPCR検査に回され、、、
(結果は陰性でひと安心するも、尚、原因不明で後日また検査…)


私としては原因は明らかで、カビ/埃の吸い過ぎ

というのも、プチ移住して自給自足シェアハウス(オプション|どろんこ村のシェアハウス)の立ち上げをさせてもらっていた渥美どろんこ村で、新しく別の古民家もGetして改装する!てことでこの1,2週間ひたすらゴミ屋敷と格闘してたんです。

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それで、一昨日うっかりマスクせずに作業してしまったら撃沈


ただ、細菌性じゃないってことで、抗生剤も出ず…
ほんっとに唾飲むだけで泣くほど痛い、勘弁して〜


思えばPCRは1年ぶり、2回目です。

インターン中のバリ島でこれまた謎の高熱を出し、命からがら帰国した羽田空港にて。


大学入ってから、なんやかんやと怪我や病気に足を引っ張られています…。
元気が取り柄だったのになぁ。

けどもう「これも、ある程度年とか体質だよなぁ」と諦めをつけて、自分なりに対策をしていこうと思います。

ただ漫然とやりたいことややるべきことに打ち込んでるだけじゃ、健康体を維持できないらしい。

日々、食事や運動習慣、休養にも気を配って、バランスよく生活していきたいです!
自分自身も持続可能にね!


ということでまとまりないけど、こんな感じでもうしばらく学生生活頑張ります!

 

当たり前などない、と何度でも気づき、また忘れよう

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1度、日本に帰ります。


体調を崩し、帰国を決めてから5日。

毎日、バリの空は見たことのない色を見せる。


雨上がり、ピンク色の靄がかかった空。
夕暮れの鮮やかな橙の空。
朝一番のどこまでも高く澄んだ青空。


もう2か月もここに居るのに、まだこんな表情があったんだと胸を打たれる。

これは「帰らないで、まだここにいなよ!」という説得か、或いは「そんなこともまだ知らないの?」という挑発か。


どっちでもないんだろうなぁ。
バリには今日も明日もバリの風が吹き、私の存在とは無関係にバリの日常は続く。


でも、そんな風に思えてしまうのは、この街とここに居る人たちへの好きの気持ちと、まだまだ思うような仕事をやり切れていないことへの悔しさが心の中にあるからだろう。


カウントダウンが始まったのは


それでもわたしは日本へ帰る。今はそうしたいから。


あと10日。そんなカウントダウンがもう始まり、ハッとする。

タイマーはもっと前に掛けたではないかと。

 

熱を出し、帰国の決意を固めた日、あと2週間しっかりやろうと。
インドネシアでもコロナが広まり、多くの仲間が留学を中断して帰国した先月。この日常も当たり前じゃないんだ、大事に生きようと。
バリへやって来た、日本はまだ冬だった頃、5ヶ月なんてあっという間、一瞬だって無駄にはしないと。


どんなに意識を向けたって、少し経てばそれは無意識となり、目の前の日々を『日常』として背景化してしまう。

常にあるものを刺激として捉え続けていればうるさすぎるから、それは当然の反応ではあるけれど。色も臭いも音も存在も、全て薄まり、感じられなくなる。


それらを取り戻すのは、残り時間がわずかになり、容易に数えられるようになる頃だ。

ほんとはどんな日常にだって、終わりが来る。

 

人生におけるほとんどのものはピリオドを持った期間限定の行為だし、人生そのものが1つのピリオド(期間)だ。

わたしたち生き物にはそれが全てだから、それをピリオド(期間)とは感じにくいのかもしれないけれど。

そして地球にだって、いつか終わりが来る。はずだ。


どうしても私たちは、その終わりが近づき、それこそピリオド( " . " 終止符)が見えるようにならないと、なかなかその尊さに気づけない。

何度やったって、何歳になったって。


終わりがいつもゆっくり近づいてくるとは限らないのに。

世界的なウイルスの流行、未曽有の大災害、思いがけない事故…。

よく見たらこんなもん、しょっちゅう起こってるのにね。学ばないよね。


なるほど、うーんと大きくてまだまだ遠くにピリオドが待ってる地球の、この世界の危機に人々が疎いのも納得だ。

 

「当たり前」が鈍らせる


自分はそれが出来ている、人よりそれに気付いてる

そんなばかげた自意識が、日常を愛おしむ機会を奪っていたのかもしれない。


ー 当たり前のことを当たり前にする。
ー 当たり前のことを当たり前にしない。


どちらも私が大事にしていることだ。
矛盾しているようで、紛らわしいようで、要は簡単。


ー 当たり前など存在しない。


ただ、それだけのことだと思う。


繰り返すけれど、ずっとわかってた。

わかってるよそんなこと、って思ってたからまた見落とした。
だから、今回は書き残しておこうって思ったんだ。どうせまた忘れるけど。


別にそれでいいと思ってる、結局。

だって期間限定の大事な人生中ずっと「大事にしよう」って意気込んでたら疲れちゃうもん。
だから、いい。忘れたってサボったって、それだって大事な人生の一部、愛していく。



さて喜びと悲しみを抱えたまま、残り10日。

あとちょっとなのにもやもやしたまま過ごすかもしれない。
悩んで、立ち止まって、時が過ぎるかもしれない。


けれど、それでもいい。

等身大の今・ここ・自分を大事に毎日過ごそう。

そして日本に帰ったら、またその時の今・ここ・自分を大事にできたらいいな。

 

お、雨が止んだみたい。
ちょっくら出掛けてきます。今日もいい日だ。

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社会課題に向き合いながら、幸せに生きるには?【私がバリ島でインターンをする理由④】

3つ目の理由は環境系学生としてのキャリア設計を考えたかったから、でした。

www.sayakanari.com

 
4つ目は社会課題に向き合いながら、幸せに生きるためのヒントを得たかったから。
今日もソーシャルセクターで働くことに関する話です。

 

社会貢献をしてると幸せは遠のく…?

 

社会貢献をしていると幸せになれない。


そんなことはあってはいけません、断じて!!!

だけど悲しいかな、今の日本ではまだそう思わせてしまうような空気というか、社会的な悪しき考え方があると思います。

これは個人としても、組織としても。


たとえば個人だと、社会のために身を粉にして一生懸命働いていると、子育てをする余裕がないとか。
海外をフィールドにあちこち飛び回っていると、結婚の時機を逃すとか。
貧しい地域、苦しんでいる人々を前に、自分だけ豊かに幸せに暮らすことができないとか。


結婚する、子供がいる、ということが幸せの形とはまったくもって限らないですが、ここで言いたいのが仕事のせいでそうした選択肢が自動的に消えてしまうのはおかしい、ということです。


これらは何も社会貢献に限った話ではなく、仕事全般に言えることですが、特にソーシャルセクターでは状況や組織に余裕がないことが多く、他の職場よりも融通が利きにくかったりするように思えます。

あるいはこうした世界に関わる人達の強い使命感や問題意識から、自分の事が後回しになってしまうような人も少なくない気がします。

 

そうなると世間では、「ああいう人たちは自分の幸せを犠牲にしてまで、社会のために動いていてほんとに立派よね。素晴らしいわ。私にはとてもできないわ…。すごい!」

という風になって、そのイメージが余計に現場の人間をそうさせて、また世間では~という悪循環。

 

だけどEarth Companyでは?!

 

しかし、うちのチームは(もう働き出してからの話も混ぜちゃうけど)そんなことありません!

基本は週5日、9時~17時の勤務ですがスーパーフレキシブル

17時からのヨガレッスンに出たいから16時半に職場を出る人。(うちのボス①)
朝からサーフィンをして、10時過ぎに出勤する人。(うちのボス②)

というかまず、リモート可なのでMTGなどがなければオフィスに来る義務もなく、家で仕事しようがカフェで仕事しようが自由です。なので、何時にオフィスにいるかというのも特に意味をなさず、MTGも特別対面でやる必要がなければスカイプで済みます。

私は今、職場も家もManaなのでとりあえず9-17時でオフィスにいるんですが、みんな自由に来たり帰ったりしてます。初めはびっくりしました。

 

あ、でどちらかというとフォーカスしたいのはここじゃなくて、代表のおふたりの人生設計?的なところ。

代表の濱川夫妻(通称・とますか)は2014年に2人で社団法人Earth Companyを立ち上げ当時も今ももの凄い量の仕事をこなしながら、バリ島で3人の子供を育てています。

(もっと知りたい方は朝日のこちらの記事を↓)

濱川明日香の「放っておけない」 バリ島拠点に、起業家に伴走する生き方:朝日新聞GLOBE+

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やりたいことに直感のまま突き進むことは、安定とは重ならないけど、幸せとは重なる

若いうちに世界中を飛び回ったって(飛び回ってたから?)おふたりは出逢ったし、バリを拠点に仕事をしたら家族でバリで暮らせばいい。

実際、バリの濱川家のおうちはとっても素敵で「うわ~、こんなとこで暮らせたら日本帰れなくなるわ笑」って思ったし、バリ人は地域のみんなが育児に協力的なので、コミュニティとしても日本より子育てに向いているんです


もうすでに結構ヒントというか、いくつかの答えみたいなものを得つつありますが、こんなことをとますかから学びたかったのが理由の一つでした。

社会団体の財政難も


少し話が戻りますが、良いことしてる団体もなかなか待遇が厳しいという問題があります。


NPOやNGOなどで働く人も、当然お給料をもらわなければ生きていけません。

なのに世間では、NPOなのに利益を生んでそれをスタッフに回しているなんて!とか、寄付はすべて支援のために使われるべきで、給料にされるなんてあり得ない!とかいう人が少なくない。

 
たしかに、数ある団体の中には理念や活動方針がしっかりしていないところもあります。

だけど、スタッフの給料や団体の成長のための投資は間違いなく支援のためのお金の使い方です!!

ほんとにここは、日本社会に向けて声を大にして届けたい。
寄付文化のない日本。ノブレス・オブリージュの概念がもっと広まればいいなぁ。


と、言いつつも私はほとんど寄付をしません。

小さい頃はしてた。本来自分で稼いでないお金なので微妙なところではあるけれど、親と相談し、理由は目的をよく話した上で寄付をしていました。だって、当時の自分にはそれしか支援の方法がなかったから。


今はほとんどしません。

なぜかというと、ひとつはどこかの団体にお金だけ渡して委ねるのではなく、私は自分自身がその道に進み、よりインパクトの大きいところで動きたい、という方針にしたので、今はそれを実現するために経験を積んだり勉強したりすることにお金を使いたいから。

その分、その学びを形にしてきちんと社会に還元する。今自分が払える寄付よりはるかに大きいパワーにして。


というのと、どれだけ志のある団体でも資金運営が上手くないという印象も拭えないからです。

どうしても非営利団体では(小さいところほど)、気になる問題に対しての専門知識があっても、団体としてのマネジメントやマーケティングのスキルは乏しい場合が多々あります。


ソーシャルビジネス・社会起業家という言葉もだいぶ広まってきましたが、ほんとに ”社会に良いことでお金を稼ぐ" というのが出来ないと、こうした活動も持続可能じゃないですよね。

 

その点で、Earth Companyはまさにファウンドレイジングや組織のマネジメント、コンサルティングの経験が豊富で、ビジネスセクターの経験も詰まったチームだと感じていたので、それらを学びたいという目的もあります。

ソーシャルビジネスをいかに軌道に乗せ、回していくのか、ということですね。


まあ、実際のところはManaもなかなか経営状況が芳しくなく(特にコロナのダメージが痛い!)、教えてもらうというよりは、自分がもがいてここを立て直すための業務をする感じになりそうです…。ひええ、頑張ります!焦

 

さて、ということでやや行ったり来たりになりましたが、4つ目の理由は社会課題に向き合いながら、幸せに生きる方法を学びたかったからでした!

 

一応、次で最後になりますが、5つ目の理由はグローバルかローカルかどこで働き生きていこうかというお話です。お楽しみに!

 

2019年を振り返って

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ジャカルタで見つけたジャワ文化とクリスマスの融合!

みんなが「1年早かったぁ」というのを横目に、年々1年が長く感じられています。
はあ、ようやくクリスマスが来た!けどまだ1週間もある〜


年の初めにFacebook上で ”今年の目標” を5つ掲げました。
それをもとに、2019年の総括をしたいと思います。

果たして、それぞれの目標は達成できたのか…?

 

 

2019年の総評

5つの目標についての評価と、今年1年間の総合評価をします!

1.1人で全てやろうとしない
  ★★★★★

2.使える英語→負けない英語へ
  ★★☆☆☆

3.100冊読む!(言語は問わない)
  ★★☆☆☆

4.メモ・記録をつける
  ★★★☆☆

5.身近な人を大切に。
  ★★★☆☆

 *   総合評価
  ★★★★★

 

1.1人で全てやろうとしない ★★★★★


私にとって最も重要かつ困難だった課題が、なんと5/5!

これは一重に留学のおかげです。

出来ないことが嫌、助けを求めることが苦手、頼っていいのか迷う。
そんなことを20年こじらせて、解決の糸口も見つけられずにいたところ…。

でもインドネシアに来て、分からないことばかり。インドネシア語も出来ず、バディを始め英語が出来る友達に頼るしかありませんでした。
そこから少しずつ感覚を掴み、またビックリするくらい優しいジョグジャの人々のおかげもあって、必要なときには迷わず(ほんとはまだ迷うけど)手伝ってほしいと言うことを覚えました。

インドネシア人だけでなく、留学生活の中で気持ちが落ちている時に助けてくれたのは日本や他の国にいる友人でした。

特にある時期、嫌なことがこれでもかと重なってしまってひどく参っていた時には、色んな場所から優しさを届けてもらって回復し、「自分は一人じゃないんだ」って、そんな当たり前のそして幸せなことに気がつきました。

 

だからそこは、まだまだ下手で不器用なんだけど、あとそれとは別にもっともっと強い自分で、色んな事が出来たらなとも思うんだけど、それは両立すると思うので。

引き続き「強かに、しなやかに」を目指していく。

 

2. 使える英語→負けない英語 ★★☆☆☆


これはねー、変わらず「英語は使えます」止まりでした。


何が一番って、英語力が変わらないことよりも、それを変える為の努力を特に自分がしなかったこと。

言い訳はいくらでもある。

インドネシア語を頑張った。
アジア圏だったからねぇ。
他にもっとやるべき事があったから…。


けど、あんなに時間が沢山あった中で、語学の勉強なんて数十分を毎日の積み重ねなのに、やれなかった。

今までそれで変わらなかったから年の初めに重点を置いたのに、結局今年も変えられなかった。

これは十分に反省して、次の5ヶ月=インターン中の強化項目とします。


3. 100冊読む ★★☆☆☆

これは言い訳をさせてほしい。留学中は無理だったんだ!


まず日本語の本はない。

海外行く勢はkindleが鉄板みたいだけど、その考えはなかった。
1回友達の見せてもらったら、思ったより遥かにナチュラルで電子感はないんだけど、やっぱ紙とは違うじゃん〜。どうも好きになれない…

英語の本は大学の図書館に行けばあったけど、留学生はIDカードを預けないと借りられなくて、けどそれがないと生活が不便過ぎて、本を持ち帰ることは断念。

英語の新聞にしても、農学部の図書館にはなくて少し離れたメイン図書館に行かないといけなかったので、生活のリズムに組み込めず。

 

勉強に必要な論文やメディアの為の記事はネットで読んでたけど、日常生活の中でPCを見る時間が多すぎて、必須のこと以外は液晶を見るのを避けたかったので、あんまり多くは読まなかった…。

 

という訳で、今は猛烈に活字に飢えています。

とりあえず1日は図書館に篭りたい。


またすぐ海外だからどうするかは検討中。kindle導入する〜?

 

4. メモ・記録をつける ★★★☆☆


こちらは半々。
ブログを始めたこともあり、今までのメモ書きに加えて、記事にするために意識的に記録を残す習慣がつきました。

それによって自分の中の微妙な気持ちの変化に気が付けたり、なんとなく生まれた考えを逃さず捕まえることが出来たり、プラスの効果を実感してます。

人に見せることを念頭に言葉を選び、推敲したことで、文章力も少しは上がったかな?
知り合いから「文章上手いね」って言ってもらえると結構嬉しかったりしました!

 

一方で、私には妙なところで完璧主義な面があるようで…。
意外と気づいてなかったのは自分だけで、「知ってる」って言われるんだけど。

ともあれ、これが質が悪い。

悪いことばかりではないと思うんだけど、なかなか一つの記事を仕上げられず、溜めてしまうことも。
関心や想いが大きい程に時間がかかってしまい、眠っている記事も多々あります。


読む側もあんまり重たいのばっかりだと疲れちゃうし、もっとスっと感じたことを書いていければいいなぁ~と。

 

もう一つ、必ずしも全てを言語化することがいいとも限らないんじゃないか、ということ。

言葉にすることで見えてくることもあるけど、時には自分の中のもやもやをもやもやのまま置いておくと、時間が経ってから適したタイミングで ”落ちてくる” こともあるなぁって。

なので、この辺は引き続きマイペースに、ブログ,Twitter,インスタ,FBと色んなツールを分けながら適当に発信していこうと思います。


5. 身近な人を大切に ★★★☆☆

これが1番評価するのが難しかった。

うーん…。どこから考えよう。

今回のインドネシア留学で初めて一人暮らしをしました。
兄が仕事の都合で実家を出たのが3年前。
私の大学入学と同じタイミングでした。

いや、やっぱこの話はまとまらなくなりそうだから省略!笑

 

ただ、家や地元や日本を出てしばらく過ごしたことで、その有難さに一層気づく部分はありました。

そばに居られない分、ちょっとした気遣いを心掛けたり、心配させないような工夫をしたり。

自分の人生・自分の時間だからなにより自分の "やりたい" を優先する。

その姿勢は変わりませんが、それを実現させてもらっているからこそ、それを認め応援してくれている人に「そうしてよかった」と思ってもらえるような、ちょっとした気持ち…
なんだろう感謝、とか敬意とかともちょっと違うんだけど
そういう人たちを『思いやる』瞬間を持とう、って思いました。

数年前だったら思わなかっただろうなって。少しだけ大人になったような気がします。

 

けれどやはり、物理的に近くに居られないことの難しさも感じました。

うちは両祖父母が元気に長生きしてくれているのですが、少し前から時々調子を崩しています。海外に居てもいいのか、迷う気持ちは正直あります。

他にも、大切な人が苦しんでいるとき、「顔を見て話が出来たら、もうちょっとだけ力になれたかもしれないのに」と思うこともありました。

ちょっとしたコミュニケーションも、直接じゃないことで微妙に噛み合わなかったり、伝えきれなかったりすることももちろんあります。

 

日本の外で生きていくこと、もっと言えば自分の好きなことを突き通すこと、それを変えるつもりは全くありません。
が、迷いや揺らぎはこの先もまだ続くのだろうなと。

これについたは色んな人と話がしたいです。迷っています。

 

* 総合評価: ★★★★★


こんなに反省点が多いのに満点にしちゃうからわたしは甘いんだろうなぁ笑

でも、年始に立てた5つの目標に関しては上述の通りとしても、総合で見た時にこの1年本当によくやったなって思えるんです。


自分なりに常識を取っ払って、新しい試みをしてみる。
限られた時間の中で、時にキャパシティの限界を引き上げて物事をこなす。
今までよりもさらに一歩踏み込んだ関係作りをしてみる。
体力や気力のバランスを見て、無理をし過ぎない。
常にアンテナを貼り、コレだと思ったら行動して、実際にコネクションも得た。

 

人間、曲面でできてるので一概には言えませんが…

確かに私はある面で人より少し厳しいのだと思います。自分にも、そして他人にも。

時々それが、言葉や態度から滲んでしまって、関わり辛く思えたり、他の人を傷付けてしまったりするみたい。

その問題にどう対処していくかはこれからもっと考えます。


でもその中で、だからこそ? こうやってどこかいい加減な甘さとか、大雑把で楽天的なところとかが、自分が苦しくなく、楽しく走り続ける為に必要なバランスの取り方なのかなぁーって思ってるんですよね。

いや、やっぱそれが詰めの甘さとかに繋がってるからダメなのか…?


けど、まあ、ちょうど去年の冬ぐらいから考えてたんですけど、人は長所も短所も持ってるんじゃなくて、ある性質が長所にも短所にもなる。

だからどれを残す / どれはやめる、のではなくて、自分のその性格がどんな風に作用しうるか、それを色んな立場に対してちゃんと想定し、上手に扱っていくことが大切なんじゃないかと思います。

 

この1年は、今までよりも傷付け、傷付くことが多かったように感じます。
だけどそれはきっと、ただそれに気付けるようになっただけ。

これまでは人の痛みにも自分の痛みにも、少々鈍かったみたいです。

それは余計なことを考えず、突き進んでいくにはその方が便利なんだけど、気づいてしまった今はもっと気を配れる人であらないとなぁと思います…。ふーむ、難しいけど。

でもきっと、気づかなければいけなかったことなんだろう。

 

という訳で、失敗や反省がなかった訳ではありません。
てか、むしろいーーーっぱいあったよ!!笑

けどそれって全然マイナスなことじゃなくて、それが勉強材料だから。

なので、沢山 TRY&ERRORして色んな事に気づけたっていう点で、総合評価は満点にしたいと思います!

 

終わりに


この1年間、本当に沢山の方にお世話になりました。


手探りばかりの毎日を記録した、この拙いブログを読んで下さり、ありがとうございます。

まだまだ未熟で、沢山転びながらではありますが、一歩ずつ進んでいきたいなと思っていますので、今後ともお付き合い頂けたら幸いです。

2020年が、皆様にとって素敵な1年になりますように。

よいお年をお迎えください!

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留学修了日、ガジャ・マダ大学にて。


 

メディアであること、メディアになること

今日は、IDEAS FOR GOOD・加藤佑さんマザーハウス・山崎大祐さんポッドキャスト対談を聞いて思ったことを書き留めておきます。

 

留学して1月弱経ち、これからのことを考えるいいきっかけになったので。

 

マザーハウス × IDEAS FOR GOOD

 

ソーシャルなことに興味がある人なら誰もが知ってるであろう、この2つ。

 

マザーハウス|MOTHERHOUSE

私は小田原の罠オーナー制度で出会った悠介さんがきっかけで知ったブランド。

会社を立ち上げた山口絵理子さんの著書『裸でも生きる』をおススメされて、読んで、めちゃめちゃ刺激を受け、続きも全部一気に読んで、国際開発系興味ある人や何か動きたいと思ってる人に私も思わず薦めました!

 

そこからご縁があって、アセナビでもインタビューに行かせて頂き、今も憧れのブランド。

 

IDEAS FOR GOOD - 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン

TwitterFacebookでシェアされているのを見ない日はない!

世界中の面白くてソーシャルグッドなアイデアを発信するWEBメディア。

自分で積極的にチェックしてるわけじゃないけど、周りの繋がってる人達がその情報を教えてくれて、その見出しにいつも惹きつけられ、読んでみるとめっちゃ面白くて自分もシェアしたくなる…。いつもそんな感じ。

こないだもバリ島のエコホテル『Mana Earthly Paradise』を知るきっかけをくれ、これからインタビューともしかしたら来年少し働かせてもらうかもしれません。

 

そんな社会にインパクトを与える組織の代表おふたりの対談が、面白くない訳がない!

色々迷ってたところに、少し新しい光が差し込んだ感じ!

anchor.fm

 

やっぱりメディアなのかな

加藤さんの「社会におけるメディアの役割とは?」という問いに対して、山崎さんは

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メディアには大きな役割が2つあると思っていて、ひとつは世の中の新しい可能性を見つけること。まずやっぱりこれ。
そしてもうひとつは、残念ながら世の中には知らないことで価値観がぶつかったり、偏見が生まれたりしてることが沢山ある。知るだけで変わることが沢山あって、例えば価値観の違いだって、みんな違って多様なんだって、それを知らないことでぶつかったりしてるので、その緩衝材になることというのがあると思う。

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との答え。そこからマスメディアとの違いに触れながらWEBメディアが持つ可能性について話は移っていった。

 

マザーハウスでは店舗は「メディアであれ」と言われているそう。

物作りを通じて社会を動かすマザーハウスでは、物を届ける媒体がお店であり、お客様との接点でもある。そこで働くスタッフは "ストーリーテラー" であり、商品の向こう側にあるストーリーを語り、商品を手に取った人が新しい世界と出会えるようにする。

 

これを聞いていて思ったのが、私は自分自身がメディアでありたいということ。

今まで何となく自分の中でテーマというかキーワードとしてきたことに

・地球まるごと→自分ごとにする

・生き方の選択肢を増やす

・人、場所、物を繋ぐ ≒ 媒介する

というのがあって。

媒介するものが媒体(メディア)であるわけで、私は自分をメディアにして生きていきたいなぁと改めて感じました。

それはメディアで働くとか、今後もブログを書くとかそういうことではなくてね。

 

将来のこと

よく「将来は何やりたいの?」「就職は?」とかも聞かれるんだけど、それは全く決めてない。

こないだ誕生日を迎えた際、FBで昴さんから「まだ22歳なのか!!!可能性しかないな!!!」とメッセージを頂いて、いやーほんとそれです。笑

とはいえ同期はちょうど就活を終えたタイミングな訳で。私は理系でとりあえず院進っていうモラトリアムを許してもらえてるから、そんな悠長なこと言ってられるんでしょ。昴さんも7年大学通った強者だから特別だよ!っていうツッコミもわかります…

けどそれこそ "選択肢を増やす" っていうのは、こういうところからやってきたいなぁと思う。

 

それはさておき、具体的な将来のこととかは色々視野に入れつつまだ決められずに、無限の可能性を持った真っ白な状態のまま、はっきりとしたビジョンは描けていなかったんだけど、このポッドキャストを聞いてる間にはじめて結構先まで伸びた1本の道が見えました。

 

もちろんそれを目指すとか、実現させるってことじゃなくて、ひとつの例てか妄想なんだけど。

 

まず2年かけて修士は取る。

そのあと1年くらい、日本を旅しながら自分が良いなと思った暮らし方を取材して回って、IDEAS FOR GOODみたいなメディアに所属出来たら最高よね。それで一番好きになった住みたい土地に家を作って、納得できる幸せな暮らし方をする。

納得できる、っていうのは今は正直良いとは思ってないけど諸々の都合上で諦めてること、例えばエネルギーの循環とか食べ物の仕入れ先とかゴミの行き場とか、を好きなように作り替えて、自分にも環境にとっても無理がないやり方にするってこと。

 

で、その家は色んなことの拠点になるようなものにしたい。

たとえばファームステイをして子供たちの遊びと学びの場になったり、都市で生きることを選択した友達が家族を連れて毎年夏休みに遊びに来てくれたり、地域の人が集まって新しいアイデアを生んだり、旅人がふらっと訪れて羽根を休めることができたり、年を取った両親がのんびりと人生を楽しんだり…。

それで自分の子供も周りの人に助けてもらいながら、その家で育ててもらいたい。

定住したとしても、あちこち飛び回って動き続けたいから、母親がそれをしてても子供が健やかに育てる環境を作りたい。

 

やっぱり私は世界を見て関わり続けたいし、勉強も続けて専門家としても動いていたい。だから国連も考えてるし、博士号も取ろうと思う。

グローバルとローカル、理論と実践、科学の世界と市民の生活、社会のためと自身の幸せ

これらはどれもどちらか一方しか選べないものじゃないし、どっちもやってそれを媒介したい。

 

それで最後は、子どもたちが巣立って旦那さんともお別れしても、その家に集まる次世代の人たちの挑戦と成長を見ながら、時々ひとりでふらっと海外旅行行っちゃうみたいなおばあちゃんになりたいよね~。

 

そんな欲張りなって怒られそうだけど、欲張りはいつものことで、なんかもはやそれをアイデンティティにしていこうかなという開き直り。笑

 

まあ現実問題、生きていくというのはもっと大変なわけで。

こないだもニコちゃんと「お金の要らない暮らしをしてても保険、税金、年金はかかるからね。」って話をしたな。

なにより私は一連の渡航が終わって帰国する頃には一文無しなので、全力で稼がないとまず院の学費が出せない。笑

 

けど、こうやって未来のビジョンを好き勝手考えるのがとっても楽しくって、このところは前に建てたビジョンの実現のために動かなきゃいけなくて、想像する作業が出来てなかったから、ワクワクした!

私はいつもその場の思い付きでバァアーっと一気に先々の道筋を想像して、それもコロコロ変わって何パターンもあって、その都度状況に合わせて、いややりたいことに合わせて状況を変えながら実行するタイプ。だからこの1本を機に、これからもどんどん未来を描いて、真っ白な無限の可能性を楽しんでいきたいなぁ

 

とりあえずまとめ

という訳でこちらでの生活にも慣れ、日々の刺激も弱くなってきた今日この頃。

「日本での5か月と引き換えにするだけのことを、こちらで得られるのだろうか…。」なんて思い始めてたんだけど、将来への新しいアイディアが浮かんだし、来た意味あった!

あんまり焦らず、調子に乗らず、引き続き動いていこう。

 

ちなみに現時点では、このセメスターが終わったらスマトラ島に渡って少しボランティアをしてから、年明けに一時帰国して附高のスキー学校を手伝い、再度バリ島に戻って上述のホテルで3か月ほどインターンしたら、お金もったいないのでその足でオーストラリアに寄り道してコスタリカの野生動物保護センターのインターンに向かおうと思ってます。

たぶんまた変わりますが!笑

 

ってことで当初の予定より1月日本にいる期間が短くなりそうなので、もし会ってくれる方は把握しといて♡

とりあえず私は極めて元気にやっております!

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寮の前の通り。この国の夕日は美しい

イスラム犠牲祭 “イード・アル=アドハー” 牛の解体を実際に見て

2019年8月11日、インドネシアではイスラム教の祝日でした。

イード・アル=アドハ(Eid ul-Adha)と呼ばれ、日本語では「犠牲祭」と訳されます。

これはイスラム教徒にとって年に1度の大切な日です。街中のお店が閉まり、人々は朝からお祈りを行い、その後モスクで牛や山羊を解体して、料理を分け合います。

私はたまたまその時ジョグジャにいた、知識もない一人の日本人だけど。

これまで農業や畜産、狩猟に従事する方と出会い「人々の命の捉え方」を考えてきた、また自分自身「命」について考えている、そんな外の人間の視点から、そこで見たもの・感じたことを残しておこうと思います。 

《注意》この記事には牛や山羊の屠殺の写真や描写が含まれます。

イスラムの犠牲祭とは

私が詳しくはわからないので、犠牲祭に関する説明は調べたことの中から簡潔にまとめるに留めます。正確でないことに留意して、詳しくはその他の文献を参照してください。

 

そもそも、イードというのはイスラム教の二大祭典で、日本でもよく知られるラマダーン(断食)明けの祭り "イード・アル=フィトル"犠牲祭 ”イード・アル=アドハー” があります。

彼らが断食をする理由の一つは、貧しい人の気持ちを知るため。なので、イード・アル=アドハーの前の日も多くのムスリムの人は断食をします。前日ちょうど現地の友達をごはんに誘ってら断られたのは、そういうことだったのか。

犠牲祭の背景にあるストーリー

預言者・イブラヒムはある日、神・アッラーから息子のイスマイルを捧げるよう掲示を受ける。イブラヒムは悩みながらもその旨を息子に伝えると、彼は「仰せの通りにしてください」と答えた。そうして、いざイスマイルを殺そうとしたその瞬間、彼の体は子羊に変わり、アッラーの元へ届けられたという。

そんなイブラヒムやイスマイルの神への忠誠を讃え、人々へ年に1度生贄を捧げるそうです。

朝のお祈りに集まる人々

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ムスリムの人は普段から1日に5回、モスクや礼拝室で礼拝(サラート)をします。この日は、モスクではなく広い公園や広場に正装で集まり、1時間以上かけてお祈りをします。

私は大学構内にある広場に到着。友人によると6時頃から始まったようで、私が7時に着いてからは15分ほどで終わりました。

生贄としての牛の解体

そのあとは8~9時頃から、街中のモスクで牛や山羊の解体が行われます。

一体どんな規模でどんな雰囲気で行われるのだろう、外国人が見に行ってもよいものか…不安を持ちながらも、近くのモスクへ行ってみる。

すると子供も大人もあちこちから集まって解体を待っており、通りすがりのよそ者も自然に受け入れてくれました。

※以下、解体の様子が書かれています。閲覧の際はご注意ください。

 

しばらくすると男たちの手で牛が運ばれてき、解体が始まりました。

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ロープで体を縛り、固定する。 

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首に鋸のような歯を当て、頸動脈を切る。

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色鮮やかな血が一気に噴き出し、この牛が今生きていることを感じる。

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凄まじい勢いで溢れ出た血も、最後の呻き声を残して2,3分後にすっかり止まった。

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一回り小さくなった牛を引きずり、木に固定する。

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骨に沿って皮を剥ぐと見慣れた肉が見えてくる。この一連の繋がりを意識したことがある日本人が、どれくらいいるのだろう。

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大きく解体された塊はさらに隣へ運ばれ、

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こんどは女性たちの手で、より細かく切り分けられる。

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ヤギの解体

2頭目の牛が来たところで、ヤギの解体も行われ始めた。

牛と同様に、写真奥で首を切り血抜きを行ったら、手前で頭を落とす。

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木に渡した竿にぶら下げて、解体する。

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次々と、流れるように行われる「作業」。

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命を止め、解く工程が「作業」になっていいのかな、と思ったけどそりゃなるわ。今日解体されるのは牛7頭とヤギ32頭とのこと。

初めは好奇心と少しの恐怖で興奮気味に眺めていた子供たちも、もう飽きて端っこで遊んでいます。あちこちに広がる血の跡にも皆慣れます。

 

この写真を見た皆さんが、何を感じどう思ったか、私にはわかりません。

私はこの国の人々は、どう感じ考えるのかが知りたくて、今日ここへ来ました。

そして私自身はというと、特に何も感じていません。外の視点で見て考えてはいるけれど、解体そのもので心の内側が動くことはなかったです。

命と食と生きること

「命の処理」を前にした時の感情や考え方は人により様々です。それは宗教によったり、育った環境によったり、社会の共通認識によったり。

私はたまたま畜産や狩猟に関わる方、中でも普段はそこに関わらない人に接点を与えるような活動をしている方とお付き合いさせてもらっています。
そうすると子供から大人まで、色んなバックグラウンドを持つ人の反応を見る。それはまた、何かをきっかけに変化することも多々あるみたい。

 

私の場合は、食べる為に生き物を殺すということをなんとも思いません。

可哀想でもありがたいでもない。それが当たり前だから。
薄情と思う人もいるだろうし、なにより私自身が手を下している訳では無いので、その工程に関わる立場の方に対して、私の感じ方が全ては伝わらないこと、不快な思いをさせることを恐れながらも、敢えて言葉を続けると…


ライオンがシマウマを食べるときに何も思わないのと同じように、何も思わない。

もちろん、人間は必要十分量で収まることがなく、多様な選択やより上の質を求めて無駄を生み、或いは食べる為だけの「命」の生産を行い…。当然そこには私自身も含まれ、正しい消費の仕方をしているとは思わないし、だから食育やフードロスといったテーマも自分の中で1つの切り口にしているのだけど。

また、私なりにその工程を支える他の人や生き物の存在を認識し、同時に決してそれをすべて理解できないことを受け入れて、割り切っているからでもある。

 

けれど色んな人と出会い、食と命のことについて話をする、或いはテレビやニュース、日々の会話から感じる世間一般の感覚は、これとはだいぶ違うらしい。

それはやっぱり、教育、メディア、そしてそれに基づいてできた社会の意識が原因だと思う。

どうして日本のメディアは生き物を殺すところを写さない?

なぜ日本人には屠場(屠畜施設)が身近でない?

「命を大切に」と誰もが習うのに食料廃棄が増え続ける?

日本ではあまりに ”命としてある瞬間” と ”食べ物としてある瞬間” が離れ過ぎている。あるいはその過程が隠され過ぎている。いや、見ようとしていないのかもしれない。

 

実は私がこの現状に問題意識を持つようになったのはほんの2年前のこと。命と食の繋がりをなんとなくわかった気になって過ごしていた私をハッとさせた、ある出来事を紹介します。

タイで見た食肉処理場とステーキハウス

大学1年の終わりに、タイのカセサート大学へ研修へ行った。農学部・獣医学部のキャンパスを主に視察したのだが、そこには畜産学科も含まれていた。

広大な敷地で飼われる牛や鶏、水牛などを見せてもらった帰り、牛舎のすぐ向かいに何やらポップな看板を発見。

よく見るとそこには "STEAK HOUSE" と書いてある。すぐ横には食肉加工施設。

牛舎、屠殺場、加工場、そしてステーキハウス。

「生きてる牛を横目に、ステーキ食べるってタイ人凄いな!」

「牛舎の目の前にこれ作るってブラックジョーク効いてるよね…」

そんな会話をしていた農学部の私たち、数秒後にハッとします。

「そう思ってしまう私たちの感覚がおかしいんじゃないか。」

どれだけ、日ごろ命と肉の関係性を意識せずに生きていたか、またその繋がりを見せないことを当たり前と思っていたか。農学部の学生でさえこうだったら、世間一般はどうだろうか…。

 

これがきっかけで日本のメディア・教育の在り方への問題意識と、他の国の人は食と命をどう考えるのかという問いへの興味が大きくなりました。

 

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純粋な好奇心の目で解体を見つめる子供たちが印象的だった

 

話が少し逸れましたが、私の感覚では「食」と「命」は同じもの。

正確に言えば「食」という円と「命」という円がぴったり重なる感じ。玄さんが言ってた「食と命は同じ点である」っていうのも、近いのかな。

また、それはどろんこ村のおじさんの言葉で言う「食べることは生きること」でもある。これと私の感覚とが全く同じなのかはわからないけれど、遠くないことは話していてわかる。

やっぱり、この先もいろんな人の考えを聞いてみたいなと思った!あなたはどう考えますか?

解体したお肉はどうなる?

さて、イード・アル=アドハーのことに戻りましょう。

先ほど言ったとおり、今日解体されるのは牛7頭とヤギ32頭。

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どんどん人が集まり、みんなで肉を切り分けます

細かくなった肉は重さを量って袋分けにし、集められる。

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このお肉の大半は貧しい家庭(インドネシア語でkurang mampu:less fortune な地域の家庭)に届けられる。

そもそもこの動物を誰が提供しているかというと、牛は地域の家7軒ほどで一年かけてお金を貯めて買い、ヤギは余裕のある人が一人で買うらしい。(聞いてくれた帆乃ありがとう。)数日前から、街のあちこちで軒先に牛や羊がいたのはそのためかと納得。

 

そうして残りの肉(主に牛肉)はこの場で料理して皆に振舞われる。見物に来た私たちにも優しく声をかけてくれた。

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食事の他に、飲み物やアイスも用意されてどんどん配られた。

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地域コミュニティの存在

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この様子を見ていて、命のことと合わせて感じたのが地域コミュニティの強さです。

長時間にわたる解体を、協力して行う男たち。包丁とまな板を持ち、次々と集まる女たち。興味を示したり、待ち飽きたりしながら、同じ場を経験する子供たち。

1年に1度、これが毎年繰り返されるのってすごいことだなぁと。

もちろん元は宗教行事なのだけど、なんというか日本の正月行事や盆踊りのような、地域の関わり合いを基盤とした行事なんだなと感じました。

 

終わりに、そしてこれからへ

最後に、これらのことをより広げて考えるとき、きっかけとなりそうな情報をいくつかまとめておきたいと思います。また逆に、何か新しい視点を教えて頂けたら嬉しいです。

 

イード・アル=アドハーに関しては自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンさんがスーダンでの経験を記事にされています。

gigazine.net

東京では、品川に「食肉市場・芝浦と場」があります。そこを見学して思ったことをレナさんが記事にされています。

esprit.hateblo.jp

食肉市場・芝浦と場|東京都中央卸売市場

上記記事でも沢山書籍が紹介されていますが、中でも内澤さんの本はとても勉強になりました。

世界屠畜紀行

世界屠畜紀行

 

命を自らの手で取り、食べるという経験。かつては各家庭に鶏がいるということも普通だったようですが、現代の都市の暮らしでは身近じゃないですよね。

今は結構色んなところで、多様な切り口でそうした体験の場を提供している方がいます。たとえば鶏の解体WS狩猟体験ツアーなど。

興味があれば聞いてください!いくつか紹介できると思います。

とりあえず、どろんこ村だけ載せときます。ここで色々勉強できます。

www.doronkomura.com

わたしももっともっと考えないとなぁ…。今後ともお付き合いください!

追記(2019/8/20)

解体された肉が貧しい家庭に配られるということに関して、質問をもらいました。

「誰がどういう基準で貧しいと判断するの?」「地域間で割り振りが決まってるの?」

たしかに、気になる…。

調べても分からなかったので、インドネシアやイスラム文化に詳しい友人・現地の友達にもう少し聞いてみます。わかり次第更新しますが、現時点で関係のありそうなことと私の考えを補足します。

 

インドネシアにはカンプン(村)という集合単位があります。

ジョグジャでは線路や河川沿いに低所得者層が集まるカンプンが多くみられます。途上国ではこうした貧しい人が集まる地域が良くありますが、それは “スラム街” のような違法住宅であったり、社会的にネガティブに見られ、排除されたりする傾向にあります。しかしジョグジャのカンプンはそうではなく、きちんと住所を持ち「○○カンプン」というように認識されています。

「所得が低い」「貧しい」ということが差別的でなく表に現れており、だからこそそうした人々へのフォローも度々行われています。

インドネシア人は路上にいる物乞いの人や子供たちによくお金や食べ物を恵んでいます。他の東南アジアでは私はそこまで見かけませんでした。

そこには宗教的な背景も強く影響していると思いますが、助け合って生きていくことが当たり前という感覚があるのでしょう。

 

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