2019年8月11日、インドネシアではイスラム教の祝日でした。
イード・アル=アドハ(Eid ul-Adha)と呼ばれ、日本語では「犠牲祭」と訳されます。
これはイスラム教徒にとって年に1度の大切な日です。街中のお店が閉まり、人々は朝からお祈りを行い、その後モスクで牛や山羊を解体して、料理を分け合います。
私はたまたまその時ジョグジャにいた、知識もない一人の日本人だけど。
これまで農業や畜産、狩猟に従事する方と出会い「人々の命の捉え方」を考えてきた、また自分自身「命」について考えている、そんな外の人間の視点から、そこで見たもの・感じたことを残しておこうと思います。
《注意》この記事には牛や山羊の屠殺の写真や描写が含まれます。
イスラムの犠牲祭とは
私が詳しくはわからないので、犠牲祭に関する説明は調べたことの中から簡潔にまとめるに留めます。正確でないことに留意して、詳しくはその他の文献を参照してください。
そもそも、イードというのはイスラム教の二大祭典で、日本でもよく知られるラマダーン(断食)明けの祭り "イード・アル=フィトル" と犠牲祭 ”イード・アル=アドハー” があります。
彼らが断食をする理由の一つは、貧しい人の気持ちを知るため。なので、イード・アル=アドハーの前の日も多くのムスリムの人は断食をします。前日ちょうど現地の友達をごはんに誘ってら断られたのは、そういうことだったのか。
犠牲祭の背景にあるストーリー
預言者・イブラヒムはある日、神・アッラーから息子のイスマイルを捧げるよう掲示を受ける。イブラヒムは悩みながらもその旨を息子に伝えると、彼は「仰せの通りにしてください」と答えた。そうして、いざイスマイルを殺そうとしたその瞬間、彼の体は子羊に変わり、アッラーの元へ届けられたという。
そんなイブラヒムやイスマイルの神への忠誠を讃え、人々へ年に1度生贄を捧げるそうです。
朝のお祈りに集まる人々
ムスリムの人は普段から1日に5回、モスクや礼拝室で礼拝(サラート)をします。この日は、モスクではなく広い公園や広場に正装で集まり、1時間以上かけてお祈りをします。
私は大学構内にある広場に到着。友人によると6時頃から始まったようで、私が7時に着いてからは15分ほどで終わりました。
生贄としての牛の解体
そのあとは8~9時頃から、街中のモスクで牛や山羊の解体が行われます。
一体どんな規模でどんな雰囲気で行われるのだろう、外国人が見に行ってもよいものか…不安を持ちながらも、近くのモスクへ行ってみる。
すると子供も大人もあちこちから集まって解体を待っており、通りすがりのよそ者も自然に受け入れてくれました。
※以下、解体の様子が書かれています。閲覧の際はご注意ください。
しばらくすると男たちの手で牛が運ばれてき、解体が始まりました。
ロープで体を縛り、固定する。
首に鋸のような歯を当て、頸動脈を切る。
色鮮やかな血が一気に噴き出し、この牛が今生きていることを感じる。
凄まじい勢いで溢れ出た血も、最後の呻き声を残して2,3分後にすっかり止まった。
一回り小さくなった牛を引きずり、木に固定する。
骨に沿って皮を剥ぐと見慣れた肉が見えてくる。この一連の繋がりを意識したことがある日本人が、どれくらいいるのだろう。
大きく解体された塊はさらに隣へ運ばれ、
こんどは女性たちの手で、より細かく切り分けられる。
ヤギの解体
2頭目の牛が来たところで、ヤギの解体も行われ始めた。
牛と同様に、写真奥で首を切り血抜きを行ったら、手前で頭を落とす。
木に渡した竿にぶら下げて、解体する。
次々と、流れるように行われる「作業」。
命を止め、解く工程が「作業」になっていいのかな、と思ったけどそりゃなるわ。今日解体されるのは牛7頭とヤギ32頭とのこと。
初めは好奇心と少しの恐怖で興奮気味に眺めていた子供たちも、もう飽きて端っこで遊んでいます。あちこちに広がる血の跡にも皆慣れます。
この写真を見た皆さんが、何を感じどう思ったか、私にはわかりません。
私はこの国の人々は、どう感じ考えるのかが知りたくて、今日ここへ来ました。
そして私自身はというと、特に何も感じていません。外の視点で見て考えてはいるけれど、解体そのもので心の内側が動くことはなかったです。
命と食と生きること
「命の処理」を前にした時の感情や考え方は人により様々です。それは宗教によったり、育った環境によったり、社会の共通認識によったり。
私はたまたま畜産や狩猟に関わる方、中でも普段はそこに関わらない人に接点を与えるような活動をしている方とお付き合いさせてもらっています。
そうすると子供から大人まで、色んなバックグラウンドを持つ人の反応を見る。それはまた、何かをきっかけに変化することも多々あるみたい。
私の場合は、食べる為に生き物を殺すということをなんとも思いません。
可哀想でもありがたいでもない。それが当たり前だから。
薄情と思う人もいるだろうし、なにより私自身が手を下している訳では無いので、その工程に関わる立場の方に対して、私の感じ方が全ては伝わらないこと、不快な思いをさせることを恐れながらも、敢えて言葉を続けると…
ライオンがシマウマを食べるときに何も思わないのと同じように、何も思わない。
もちろん、人間は必要十分量で収まることがなく、多様な選択やより上の質を求めて無駄を生み、或いは食べる為だけの「命」の生産を行い…。当然そこには私自身も含まれ、正しい消費の仕方をしているとは思わないし、だから食育やフードロスといったテーマも自分の中で1つの切り口にしているのだけど。
また、私なりにその工程を支える他の人や生き物の存在を認識し、同時に決してそれをすべて理解できないことを受け入れて、割り切っているからでもある。
けれど色んな人と出会い、食と命のことについて話をする、或いはテレビやニュース、日々の会話から感じる世間一般の感覚は、これとはだいぶ違うらしい。
それはやっぱり、教育、メディア、そしてそれに基づいてできた社会の意識が原因だと思う。
どうして日本のメディアは生き物を殺すところを写さない?
なぜ日本人には屠場(屠畜施設)が身近でない?
「命を大切に」と誰もが習うのに食料廃棄が増え続ける?
日本ではあまりに ”命としてある瞬間” と ”食べ物としてある瞬間” が離れ過ぎている。あるいはその過程が隠され過ぎている。いや、見ようとしていないのかもしれない。
実は私がこの現状に問題意識を持つようになったのはほんの2年前のこと。命と食の繋がりをなんとなくわかった気になって過ごしていた私をハッとさせた、ある出来事を紹介します。
タイで見た食肉処理場とステーキハウス
大学1年の終わりに、タイのカセサート大学へ研修へ行った。農学部・獣医学部のキャンパスを主に視察したのだが、そこには畜産学科も含まれていた。
広大な敷地で飼われる牛や鶏、水牛などを見せてもらった帰り、牛舎のすぐ向かいに何やらポップな看板を発見。
よく見るとそこには "STEAK HOUSE" と書いてある。すぐ横には食肉加工施設。
牛舎、屠殺場、加工場、そしてステーキハウス。
「生きてる牛を横目に、ステーキ食べるってタイ人凄いな!」
「牛舎の目の前にこれ作るってブラックジョーク効いてるよね…」
そんな会話をしていた農学部の私たち、数秒後にハッとします。
「そう思ってしまう私たちの感覚がおかしいんじゃないか。」
どれだけ、日ごろ命と肉の関係性を意識せずに生きていたか、またその繋がりを見せないことを当たり前と思っていたか。農学部の学生でさえこうだったら、世間一般はどうだろうか…。
これがきっかけで日本のメディア・教育の在り方への問題意識と、他の国の人は食と命をどう考えるのかという問いへの興味が大きくなりました。
話が少し逸れましたが、私の感覚では「食」と「命」は同じもの。
正確に言えば「食」という円と「命」という円がぴったり重なる感じ。玄さんが言ってた「食と命は同じ点である」っていうのも、近いのかな。
また、それはどろんこ村のおじさんの言葉で言う「食べることは生きること」でもある。これと私の感覚とが全く同じなのかはわからないけれど、遠くないことは話していてわかる。
やっぱり、この先もいろんな人の考えを聞いてみたいなと思った!あなたはどう考えますか?
解体したお肉はどうなる?
さて、イード・アル=アドハーのことに戻りましょう。
先ほど言ったとおり、今日解体されるのは牛7頭とヤギ32頭。
細かくなった肉は重さを量って袋分けにし、集められる。
このお肉の大半は貧しい家庭(インドネシア語でkurang mampu:less fortune な地域の家庭)に届けられる。
そもそもこの動物を誰が提供しているかというと、牛は地域の家7軒ほどで一年かけてお金を貯めて買い、ヤギは余裕のある人が一人で買うらしい。(聞いてくれた帆乃ありがとう。)数日前から、街のあちこちで軒先に牛や羊がいたのはそのためかと納得。
そうして残りの肉(主に牛肉)はこの場で料理して皆に振舞われる。見物に来た私たちにも優しく声をかけてくれた。
食事の他に、飲み物やアイスも用意されてどんどん配られた。
地域コミュニティの存在
この様子を見ていて、命のことと合わせて感じたのが地域コミュニティの強さです。
長時間にわたる解体を、協力して行う男たち。包丁とまな板を持ち、次々と集まる女たち。興味を示したり、待ち飽きたりしながら、同じ場を経験する子供たち。
1年に1度、これが毎年繰り返されるのってすごいことだなぁと。
もちろん元は宗教行事なのだけど、なんというか日本の正月行事や盆踊りのような、地域の関わり合いを基盤とした行事なんだなと感じました。
終わりに、そしてこれからへ
最後に、これらのことをより広げて考えるとき、きっかけとなりそうな情報をいくつかまとめておきたいと思います。また逆に、何か新しい視点を教えて頂けたら嬉しいです。
イード・アル=アドハーに関しては自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンさんがスーダンでの経験を記事にされています。
gigazine.net
東京では、品川に「食肉市場・芝浦と場」があります。そこを見学して思ったことをレナさんが記事にされています。
esprit.hateblo.jp
食肉市場・芝浦と場|東京都中央卸売市場
上記記事でも沢山書籍が紹介されていますが、中でも内澤さんの本はとても勉強になりました。
命を自らの手で取り、食べるという経験。かつては各家庭に鶏がいるということも普通だったようですが、現代の都市の暮らしでは身近じゃないですよね。
今は結構色んなところで、多様な切り口でそうした体験の場を提供している方がいます。たとえば鶏の解体WSや狩猟体験ツアーなど。
興味があれば聞いてください!いくつか紹介できると思います。
とりあえず、どろんこ村だけ載せときます。ここで色々勉強できます。
www.doronkomura.com
わたしももっともっと考えないとなぁ…。今後ともお付き合いください!
追記(2019/8/20)
解体された肉が貧しい家庭に配られるということに関して、質問をもらいました。
「誰がどういう基準で貧しいと判断するの?」「地域間で割り振りが決まってるの?」
たしかに、気になる…。
調べても分からなかったので、インドネシアやイスラム文化に詳しい友人・現地の友達にもう少し聞いてみます。わかり次第更新しますが、現時点で関係のありそうなことと私の考えを補足します。
インドネシアにはカンプン(村)という集合単位があります。
ジョグジャでは線路や河川沿いに低所得者層が集まるカンプンが多くみられます。途上国ではこうした貧しい人が集まる地域が良くありますが、それは “スラム街” のような違法住宅であったり、社会的にネガティブに見られ、排除されたりする傾向にあります。しかしジョグジャのカンプンはそうではなく、きちんと住所を持ち「○○カンプン」というように認識されています。
「所得が低い」「貧しい」ということが差別的でなく表に現れており、だからこそそうした人々へのフォローも度々行われています。
インドネシア人は路上にいる物乞いの人や子供たちによくお金や食べ物を恵んでいます。他の東南アジアでは私はそこまで見かけませんでした。
そこには宗教的な背景も強く影響していると思いますが、助け合って生きていくことが当たり前という感覚があるのでしょう。
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