当たり前などない、と何度でも気づき、また忘れよう

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1度、日本に帰ります。


体調を崩し、帰国を決めてから5日。

毎日、バリの空は見たことのない色を見せる。


雨上がり、ピンク色の靄がかかった空。
夕暮れの鮮やかな橙の空。
朝一番のどこまでも高く澄んだ青空。


もう2か月もここに居るのに、まだこんな表情があったんだと胸を打たれる。

これは「帰らないで、まだここにいなよ!」という説得か、或いは「そんなこともまだ知らないの?」という挑発か。


どっちでもないんだろうなぁ。
バリには今日も明日もバリの風が吹き、私の存在とは無関係にバリの日常は続く。


でも、そんな風に思えてしまうのは、この街とここに居る人たちへの好きの気持ちと、まだまだ思うような仕事をやり切れていないことへの悔しさが心の中にあるからだろう。


カウントダウンが始まったのは


それでもわたしは日本へ帰る。今はそうしたいから。


あと10日。そんなカウントダウンがもう始まり、ハッとする。

タイマーはもっと前に掛けたではないかと。

 

熱を出し、帰国の決意を固めた日、あと2週間しっかりやろうと。
インドネシアでもコロナが広まり、多くの仲間が留学を中断して帰国した先月。この日常も当たり前じゃないんだ、大事に生きようと。
バリへやって来た、日本はまだ冬だった頃、5ヶ月なんてあっという間、一瞬だって無駄にはしないと。


どんなに意識を向けたって、少し経てばそれは無意識となり、目の前の日々を『日常』として背景化してしまう。

常にあるものを刺激として捉え続けていればうるさすぎるから、それは当然の反応ではあるけれど。色も臭いも音も存在も、全て薄まり、感じられなくなる。


それらを取り戻すのは、残り時間がわずかになり、容易に数えられるようになる頃だ。

ほんとはどんな日常にだって、終わりが来る。

 

人生におけるほとんどのものはピリオドを持った期間限定の行為だし、人生そのものが1つのピリオド(期間)だ。

わたしたち生き物にはそれが全てだから、それをピリオド(期間)とは感じにくいのかもしれないけれど。

そして地球にだって、いつか終わりが来る。はずだ。


どうしても私たちは、その終わりが近づき、それこそピリオド( " . " 終止符)が見えるようにならないと、なかなかその尊さに気づけない。

何度やったって、何歳になったって。


終わりがいつもゆっくり近づいてくるとは限らないのに。

世界的なウイルスの流行、未曽有の大災害、思いがけない事故…。

よく見たらこんなもん、しょっちゅう起こってるのにね。学ばないよね。


なるほど、うーんと大きくてまだまだ遠くにピリオドが待ってる地球の、この世界の危機に人々が疎いのも納得だ。

 

「当たり前」が鈍らせる


自分はそれが出来ている、人よりそれに気付いてる

そんなばかげた自意識が、日常を愛おしむ機会を奪っていたのかもしれない。


ー 当たり前のことを当たり前にする。
ー 当たり前のことを当たり前にしない。


どちらも私が大事にしていることだ。
矛盾しているようで、紛らわしいようで、要は簡単。


ー 当たり前など存在しない。


ただ、それだけのことだと思う。


繰り返すけれど、ずっとわかってた。

わかってるよそんなこと、って思ってたからまた見落とした。
だから、今回は書き残しておこうって思ったんだ。どうせまた忘れるけど。


別にそれでいいと思ってる、結局。

だって期間限定の大事な人生中ずっと「大事にしよう」って意気込んでたら疲れちゃうもん。
だから、いい。忘れたってサボったって、それだって大事な人生の一部、愛していく。



さて喜びと悲しみを抱えたまま、残り10日。

あとちょっとなのにもやもやしたまま過ごすかもしれない。
悩んで、立ち止まって、時が過ぎるかもしれない。


けれど、それでもいい。

等身大の今・ここ・自分を大事に毎日過ごそう。

そして日本に帰ったら、またその時の今・ここ・自分を大事にできたらいいな。

 

お、雨が止んだみたい。
ちょっくら出掛けてきます。今日もいい日だ。

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