先週の木曜日に、約5か月暮らしたジョグジャカルタを後にしました。
「住めば都」という言葉がありますが、それだけでなく、ジョグジャは本当に住みやすい街でした。
今はインドネシアの首都・ジャカルタにいますが、嫌なところばかりが目に付く…。笑
早くもジョグジャに帰りたくなっています。
ジョグジャを発つ数日前に、インドネシア人の友達から「ジョグジャを3つの言葉で表現すると?」と面白い質問をされました。
改めていま、ジョグジャでの生活を振り返りながら、その時の私の答えを紹介したいと思います。
ジョグジャを3つの言葉で表すなら?
①Pride(誇り)
真っ先に浮かんだのが “ Pride (誇り) ”。
かつての都であり、今もなおKraton (王宮) にSlutan (スルタン=王) が住み続けるこの街は、Special Region of Jogjakartaと呼ばれています。
そう呼ぶジョグジャの人々からは、そこに生まれた人も今住んでいる人も、みんなこの街にいることを誇りに思っている様子が感じられます。
ジョグジャの人々が礼儀正しく、よそ者にも親切なのは「スルタンの末裔として恥ずかしくないように振舞わなければ」という気持ちがあるからなのだとか。
バティックやガムラン音楽、ワヤンクリッなど多くの伝統が人々に愛され、今も日常の中に自然と融け込んでいるのが印象的でした。
特にバティックは正装とみなされているため、大学の教授、公共交通の職員や、寮のスタッフさんもみんな仕事にバティックを着てきます。
ジョグジャではワイシャツを着ている人はほとんど見かけないので、ジャカルタに来て普通のスーツ姿のサラリーマンが多くて驚きました。
日本にいたら冴えない小太りの中年おじさんも、バティックに身を包むとこれがバシッと決まるので不思議。
ある時、結婚式に呼んでもらった際には、若者からおじいさんまで、みんなよそ行きのバティックで決めていてとっても格好良かったです!
②Modest(穏やかさ)
前の話でも触れましたが、ジョグジャの人々はとても穏やかで優しい。
いつも微笑みを浮かべ、知らない人だろうが外国人だろうが、“Monggo(やあやあ / 毎度!)”と挨拶をしてくれます。
寮を出るとガードマンさんが“Sudah makan?(もうごはん食べた?)”
バスに乗れば隣のおばさんが“Mau ke mana?(どこ行くの~?”
と声を掛けてきます。
こちらが「これは何?」「あそこへ行くには…?」と尋ねると、みんな仕事をいったん止めて、10も20も教えてくれます。
最初のうちはずいぶんと色々警戒しましたが、騙されたり、お金を取られたりすることは一度もなく、ただただ親切過ぎる(そしてややもすると暇過ぎる)人々に驚くばかりでした。
そんな性格の良さは、話し方から運転の仕方、商売っ気など至る所に現れています。
UGMにはインドネシア全国から優秀な学生が来ているのですが、あるスマトラ出身(気性が激しい民族と言われている)の友達が
「こっちで1年過ごしてから故郷に帰ったら、話すのが遅くなったって言われたし、もうスマトラの道は運転できないよ~」
なんて言ってました。
そんな話は色んな友達から聞いていたけれど、いざジャカルタに来てみてよくよくわかりました。
穏やかなのは人だけでなく、気候も暑すぎず (十分暑いけど) 、雨もひどすぎず (十分凄いけど) 、また食べ物は甘い味付けが特徴で (これは甘すぎるのだが) 、辛いものが多いインドネシアでは多少緩和されるかなと。
地価や物価も国内で最も安いエリアの一つで、一食100円以下からしっかり食べられます。ジャカルタやバリ、ロンボクでは2~3倍はするから参ってしまう。
つくづく暮らしやすい街だなぁ~と実感しました。
③Diversity(多様性)
最後に、多様性。
もともとインドネシアは、多数の島・民族が歴史の中でうまく統合されて生まれた共和国です。
その中でもジョグジャは、UGMをはじめ100校以上もの大学が集まる学園都市で、全土から来る学生で溢れる街です。
加えて、ボロブドゥール遺跡&プランバナン寺院という2大世界遺産を抱え、年中国内外からの観光客が訪れます。
そのため様々なルーツを持った人達を受け入れる素地が出来ているのか、外国人留学生の私たちが不快感を抱くことはほとんどありませんでした。
世界最大のイスラム国家でありながら、その他の宗教にも寛容で、教会や寺社が多くコミュニティに馴染んでいるのも意外でした。
またジャワ島の最大宗派であるイスラム教も、その歴史を遡るとユニークな特徴が見られます。
もともとは仏教、ヒンドゥー教が浸透していたところにキリスト教が伝来し、最後にイスラム教がやってきました。一気に広がりを見せたものの、ジャワの人々はイスラム教の教えを全て受け入れた訳ではなく、土着の宗教と混ざったある種の融合的な宗教が出来上がったそうです。
そのため、アラブ諸国のイスラム教とは考え方が違ったり、ヒンドゥー教と同じ慣習があったりします。
また、イスラム教の中でも地域、そして人によってその信仰の濃さ(強さ)は異なり、一口に『イスラム教』と言っても、その中にまた多様性が存在するのです。
『受け入れられている感』
留学中、ホームシックやら日本ロスやらになることは1度もありませんでした。
もちろんそれは、ある程度東南アジア慣れしており、食事も生活環境のギャップにも困難を感じなかったからというのはあります。
けどそれ以上に、日常生活の中で度々「自分はこの街に受け入れられているんだ」と感じられたから、というのが大きい気がしています。
この『受け入れられている感』がどれだけ人の気持ちを前向きにさせるか。
地方への移住や、子供の居場所、外国人労働者など日本がいま向き合わなければいけない問題の多くに共通して、重要なことだと感じました。
さて、そんなわけで、沢山の素敵な出逢いに恵まれ、大変楽しく充実した留学生活を送ることが出来ました。
ジョグジャでお世話になった全ての方、そしてこの街にとっても感謝しています。ありがとう。
実は来年の2月からは、バリ島のウブドで暮らすことが決まっているのですが、詳しくはまた今度お話するとして…。
その間にまたジョグジャに遊びに行きたいなぁと思っています。
だからその日まで、
Sampai jumpa lagi!Makasih ya semoanya di Jogja!
21/12/19 Susie