日々旅にして旅を栖とす(旅人の記・前編)

1週間前に、10泊11日の一人旅を終えてジョグジャに帰ってきました。

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Flores諸島は Padar Island にて

土曜の朝に電車に乗り、セントラルジャワからイーストジャワへ8時間。明朝、ブロモ山に登ってから東端の港までミニバスで移動し、フェリーでバリ島へ。さらに東へ800㎞飛んでフローレス島に渡り、念願のコモドドラゴンを見るなどしてきました。

 

ちょうど先週の月曜朝にジョグジャに戻り、空港から急いで寮に帰って、荷物だけおいてダッシュで授業へ。

そこから実験レポート3本提出、突然のデータ修正→レポート出し直し、日本の大学への月次報告、馬術部の全体行事、そして昨日はバディとSoloへお出かけ…

と、バタバタしているうちに1週間経ってしまいました。

 

1週間早いものだなぁ。

けどこれだけやってまだ1週間か…。

不思議な感覚。まあどっちでもいいや!1日1日丁寧に生きるだけですね。

 

詳しい旅の記録はまた改めて書くとして、今日はこの11日間の旅と先月のロンボク一人旅の道中で感じた、「旅」に関して思うことをなんとなく書こうと思います。

なぜ旅をするのか

実は今回、初めて旅行中に「もう嫌だ、帰りたい」と思ってしまいました。

色々とトラブルがあったり、体力的に厳しかったり、インプットが多すぎて考えることが沢山あったりして、バリ島のど真ん中で「なんで苦しい思いして旅してんだろう…」っていうネガティブモードに陥ってしまい。てかまあシンプルに疲れてしまった。

 

以前【安く簡単に旅をする…】の記事でも書きましたが、旅行に行くために日頃からそれなりに我慢、というか努力をしています。

 

日本にいた頃は高時給バイトを掛け持って、授業前にひと働きしてから学校行ってたし。

朝早くてもお弁当を作って、おしゃカフェには寄らず、むやみに飲み会にも行かず。

たくさん情報収集をして、ベストな計画を練り、移動や宿泊など抑えられるとこはコストを抑えて体力でカバーする。

 

まあそれも、無理に我慢してというよりは、その匙加減を楽しんでるとこあるし、今の自分の価値観では日常の楽しみとかディズニーでの非日常よりも、旅先での経験の方が「やりたい!」の気持ちが大きいから、好きでそうしてるんだけど。

 

ただ今回は、予想外のアクシデントとか体調とかが組み合わさって、そのバランスがとり切れなかった。それで浮かんだのが「なんで私は旅をするんだろう?」という問いだった。

結局、いつも “出逢い”

そして出た答えは “新しい出逢いがあるから”

なんか、なんだいつものやつだって思ったけどね。笑

 

人はもう言わずもがな。

私の、人生の中で一番大きな要素。

 

それから景色や生き物。

これは自然として括れるのかもしれない。 やっぱり私の人生の、こっちはより頭で考えた時の自分のテーマとしている部分というか、原動力の根っこにあるもの。

 

そして文化。言語や音楽、芸術、風習、考え方…。

知的好奇心を絶えずくすぐってくれる、旅のスパイス的な要素。

 

これらすべてを含んだ環境の中に置かれた、自分。

過去の経験や出逢った人々、訪れた場所。そんな記憶と未来への志向とが、今、その経っている場所で混ざり合うような感覚。

そういう時に起こる自分の中での閃き=新しい自分との出逢い、みたいな。

 

旅に出るといつも、そこには新しい人、風景、気持ちとの出逢いがある。

いまはそれを知っているから、出かけたくなるんだなぁ。

 

 

そしてまた、出逢いに導かれて次の旅が始まる。

ちょっと気取りすぎた表現だけど、ほんとにそうで!

 

たとえばこないだのロンボクは、せっちゃんがいなかったらやっぱり行かなかったと思う。あの休みのタイミングでロンボク行きを決めたのは、そこで新たな挑戦をしている仲間がいたから。「一体どんな人たちといて、どんな食事を食べて、どんな生活をしているんだろう?」って思ったから、会いに行くことにした。

 

今回のフローレスもそう。

大学の後輩・李帆から「コモド島が来年には封鎖されちゃうから行きたいんですよ!」って言われたのがフローレスについて調べたきっかけ。

その後こっちに来て出逢った馬術部の友達が、「すごく遠いけど、この島は本当に美しいよ」って言って教えてくれたのがパダール島とラブアンバジョーという地名。

「いやぁ…これはさすがに遠い…」

と思ったけど、後からコモド島に行く玄関となるのがラブアンバジョーだということが判明。コモド島とパダール島を回る現地ツアーがあるとわかり、思い切ってフローレス島に渡ることに。

 

バリに寄った目的だったGreen Schoolも志奈さんとの出逢いで繋がりが出来たし、お話を伺ったMana Earthly Paradiseでもまた新しい出逢いが紡がれた。

 

だから、やめられない。

ひとつ旅を終えて帰るときには「次はどこへ行こう」っていう、ワクワクが胸の中に広がっている。

終わらない旅

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そんなことをつらつら考えていたクタビーチ

だからなんというか、「○○という理由で旅をしている」というよりか、なんか旅をせざるを得ないというか、気づいたら旅をしているというか…。

 

自発的で能動的な行動というより(いや、間違いなくそうなんだけど)、もう呼吸のように無意識に旅をしているような。旅することが生きることのような、そんなもんなのかもしれんなって、結論に至りました。

 

言葉にしてみるとどうも、くさすぎるというか、しっくりこないんだけど。

まず「旅」とか「旅人」という響きがもう poetic になっちゃうんだけど。

でも、たぶん旅人はみんなこの感覚分かるんだと思うなー。

 

 

そういう訳で、ここしばらくひとり黙々と “旅” について考えていて、まだ色々あるからまた今度それも書こうっと。

欧米人と日本人の違いとか、旅のスタイルのこととか。

 

行き場のなかった旅に関する考察をやっと言葉に落とし込んだけど…

こんなこと考えて意味があるのかね?

 

まあ、物事の意味を考えるほど意味のないことはないし、何事にも意味はあるのでよしとする。